大企業を2年で退職しサッカー本場ドイツへ留学【第一部】退社~渡独理由

※このインタビューはオンラインで5月に行われたものです。

Menschインタビューについて

menschは、ドイツ留学の経験を持ち、日本に帰国してからもその経験を活かして活躍されている方にインタビューをしております。
目的としては、海外留学を考えている人達に少しでも留学後の姿を想像してもらい、考えるきっかけになってもらおうというものです。
僕たちは、これからもインタビューを予定していますので、ぜひ追って注目してください。
留学から帰ってきた人たちの生の声を聞ける場となっていますので、フルに活用して留学後のご自身の姿を想像してみてください。
※mensch誕生のnoteです少し前のものですが。

堀本麦 ほりもとばく

堀本麦:ほりもとばく】93年生まれ

左 水島圭喬 右堀本麦

町田JFC→桐光学園→同志社大学→東京海上日動火災保険株式会社→渡独→スローガン株式会社(現在)

今回インタビューを受けてくれた堀本さんは、大学までは本気でサッカーのプロ選手になることを目指していました。
しかし、プロになる夢を諦め大手企業に入社しても尚サッカーを会社で続けていましたが、社会人生活3年目に退社を決意をします。
その後ドイツへ渡り、語学勉強、サッカー分析、プレーヤーとしても(6~9部まで経験)
そして現在日本のベンチャー企業で働いています。
様々な経験をしてきた堀本さんがなぜドイツへ渡ったのか、そこで得た経験を基にインタビューをしています。今回も三部作に分けて記事を作成しています。
これから海外へ挑戦する人、海外から日本に帰国を考えている人、今社会人生活を送っている人に是非見て欲しい記事です。
それでは早速インタビュー始めていきます。

人生の転機

早速インタビューをさせていただきます。
どのタイミングでドイツへ渡ったのでしょうか?

堀本さん
堀本さん

厳密に言うと社会人3年目が始まり2~3ヶ月してから退社しました。

その年の10月からドイツへは渡りました。

退社からのドイツへ渡る準備期間がかなり短く感じますが(笑)

堀本さん
堀本さん

そうですね(笑)約3ヶ月のみの準備、ドイツ語も挨拶程度のみで兎に角熱が冷めない内に挑戦しに行きました。

堀本さんは関関同立に名を連ねている有名大学を卒業し、大手企業に就職した訳ですが、世間的は憧れるキャリアだと思うのですが、そこからなぜそのキャリアを捨て0からドイツへ挑戦しようと考えたのですか?

堀本さん
堀本さん

実は、ドイツへ行くことは会社を辞めた時点では決めていなかったんです(笑)

そうだったんですね(笑)

退社を決めた理由からドイツ行きを決めた理由をすぐ聞きたいのですが(笑)

まず堀本さんがどのように就活を進め、東京海上日動火災保険株式会社を選択したのかをお聞きしてもよろしいでしょうか?

プロサッカー選手の夢を諦め就職活動

堀本さん
堀本さん

僕は、大学四年になるまではプロになることだけを考えていて、就職は考えていませんでした。

ただ、四年になるタイミングで関西二部リーグに降格して、チームのレベルと自分の実力的にプロの道を諦めて就職活動にシフトしたんです。

しかし当時は、選んだ場所、与えられた環境で頑張るという考え方を持っていたので、サッカーチームの選び方同様に、名が知れていて業績の良い会社であれば、優秀な人材がいて自分もそこで成長ができると考えていました。従って、選択肢の中からベストだと考えた東京海上日動を選択しました。

入社してその考え方は変わりましたか?

堀本さん
堀本さん

はい。スポーツの世界とは少し違い、より広い世界に感じられました。

自分自身のキャリアを今後どう歩んでいくのか?どう築くのか?自分の強みはなにか?をしっかりと認識した上で仕事の中では様々な戦い方があると感じました。

キャリアのレールを降りた理由

仕事の中でも自分のポジションを見つけたように聞こえますが、

そこからなぜ仕事を辞めようと考えたのでしょうか?

堀本さん
堀本さん

働く中で、果たして自分はここでどうなりたいのか?

自分の強みを活かせるのか?このように考えた時に少しずつ違和感を感じるようになりました。

特に、世間的な評価と自分の評価に差異を感じました。

時には、自分の存在意義が分からなくなったり、モチベーションの保ち方がサッカーに熱中していた頃のようには保つことが難しくなっていきました。

この状況をまず打開しなければと感じるようになりました。

というのも、大学までプロになることしか考えていなく、それ意外は捨てる勢いで取り組んできたサッカーで得られていた刺激以上のものを感じれずにいたからです。

そこで、一度辞めてみて自分の道をもう一度見直そうと決意しました。

その結果、なにも見つけられなかったらそれはそれで、自分が社会に適応できないだけであると知る機会になると考えていました。

それでも社会人として違和感を感じながらも働く選択肢がある中で、堀本さんは自問自答してサッカーをしていた頃を越える夢中になれるものを探していたのですね。

しかし、辞めるにあたり計画などはあったのでしょうか?

堀本さん
堀本さん

正直に言いますと、辞めたその先を考えていませんでした。
まず一度リセットをして考えたいと思ったのが三年目のタイミングでした。

ただ、東京海上日動は本当にいい会社だったと今でも思っています。

辞める理由を探すのは正直条件や仕事に対してはありませんでした。

ただシンプルにこのままでは自分がダメだと感じていたからです。

自分のケツをたたくでないですが、先に退路を絶ち次に行くようにしました。

そしてドイツ行きを決意

退路を絶つという言葉に強い意志を感じました。シンプルに自分の意志に従ったのですね。

そこからドイツへ行く経緯はなんだったのでしょうか?

堀本さん
堀本さん

何をしようか悩んでいたときに自分の強み、経験を活かせる場所は何かを考えました。

その当時はまだ社会の一側面しか見ていないし、一社でしか働いたことがなかったので、どうしても人生懸けて取り組んできたサッカーの方が活かせると思っていました。

その中でも、当時監督でも選手でもないと感じていたので、分析の道があることを知り、この道に次は取り組みたいと考えて分析の道を選択しました。

サッカー分析という職業が国内よりも海外の方が発展しているので、様々な国がある中で自分で稼ぎを得ながら生活が可能であるドイツを選択しました。

後はシンプルにドイツのサッカー分析とサッカー大国として名が馳せているドイツで自分の目で学んでみたかったからです。

何をしたいかを考えて、動きだしたのですね。

ドイツ生活での目標などや期間設定などはありましたか?

堀本さん
堀本さん

正直強い理由、目的や期間設定があった訳ではありませんした。

仮置きの目標としてケルン国立体育大学入学、分析の勉強でした。

でも本当は、今までなら自分が選ばないような、予想がつかないある種リスクを取ってみたいと思い言葉も通じないドイツへ行くことを決意しました。

明確な目標というよりか目的思考に疲れていたので、手段を取りに行きました。ドイツへ行き何をしたいかというよりか、ドイツに行くこと自体が自分にとっては大事で、将来なにかこの経験が活きるのではないかと考えていました。

環境を変えて自分に変化を起こそうとしていた当時の覚悟がすごく伝わってきました。まず目の前に変化を起こしたい。なにかを変えたと思い一歩目を踏み出す気持ちを持って僕達もドイツへ渡ったので当時を思い出します。

気になったのですが、なぜサッカー分析を学ぼうと思ったのですか?

堀本さん
堀本さん

指示とか指図とは違う観点でのサッカーの見方を教える、今までの考え方を変えたいと思ったからです。

それなら物事を正面から見る方ではない自分のタイプに近く、自分の強みを活かせてサッカー界に貢献できるのではと感じたからです。

まとめ

覚悟と情熱を持っていてさらに、自分を俯瞰して見れる人だなという印象を受けました。
言葉1つ1つにも意味づけをして話をしている姿や、決意をし実行に移す行動力には驚かされました。

堀本さんのように退路を絶つことで人間は覚悟ができ、また新しい行動を起こせるのかもしれませんね。

今回はドイツへ行く前についてのインタビューでした。
次回は実際ドイツへ渡りどう感じたのか、どう変化したのかについてのインタビュー記事になっていますので、そちらも是非チェックしてください。

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